保坂学のだらだらブログ

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男には自分の世界がある 次元大介とは 保坂兄弟のルパン三世



こんにちは

株式会社PLUSの保坂学です。



「男には自分の世界がある」という頭文字で分かった人は、皆さんルパン三世の世代かファンの方であるのかなと思ってます。


「男には自分の世界がある 例えるなら空をかける一筋の流れ星」と言うオープニングテーマの中にあるリリックは、僕の中ではルパンではなく、次元大介に向けられた歌詞だと思ってます。


次元大介の見事な銃捌き、不器用な生き様やポーカーフェイスに、同世代の男性なら惹かれたことがあるはずです。


僕が初めてルパン三世を見たのは、小学校の中学年くらいに放映していたアニメで、怪盗や悪者が主人公のアニメはあまり無く、子供の僕には刺激があった記憶があります。


次元大介はルパンが心を許すパートナーで、ルパンが劣勢になると必ず現れ、場面を変えてしまう銃の腕は、マグナムが百発百中で撃ち抜き、バーカウンターでジャズを聞きながら、ウイスキーグラスを転がしています。


僕が子供の頃は、チャンバラで使う日本刀やピストルなどの武器に憧れましたが、エアーガンで遊んでた頃に、テレビに映る次元は、きっと戦隊モノのヒーローを見ている眼差しだったんでしょう。


子供は単純だな、とか思ったりしてたけど、大人になり気が付いたのは、エアーガンから手に持ち替えたのは、ウイスキーやスコッチを片手にバカラグラスを転がしてるだけで、子供の頃からやってることって実は変わってないのかも。


大人になってから、ルパン三世の世界に触れてみると、次元とは他の銭形などのキャラクターにも心惹かれましたが、変わらず好きなのは次元でした。


僕の素行は、大抵はおちゃらけて、ルパンってタイプでなんだけど。笑


僕は10年くらい前に、飲食店を経営していた頃に、ルパン三世カリオストロの城という映画に出ていたスパゲッティが食べたくて、ルパンと次元が奪い合う、ミートボールパスタをシェフに作ってもらったりしました。


ルパン三世カリオストロの城

ルパンと次元のパスタ




そのパスタに使ったトマトは、クラシックのモーツァルトを聴かせながら育てた、市場には出荷していない音楽トマトなどを使いました。



今の時代になり、長寿アニメ声優の交代も徐々に出始めていますが、ルパンシリーズは1971年に始まり、これまで何人もの声優陣の交代があり、時代を受け継いできました。


当初はいつもと違う声だから、少し違和感あるけど、段々と役が馴染み、知らぬ間に浸透してますよね。


僕の世代の声優は、ルパンが山田康夫さん、次元が小林清志さん、石川五ェ門は井上真樹夫さん、峰不二子は増山江威子さん、銭形警部は納谷悟朗さんという印象ですが、2015年〜2016年に放送されたPART4では、次元以外の他の声優は全員交代しました。


そして、1971年のルパン三世 PART1の初放送から現在まで、次元大介だけは唯一代わることなく、命を注ぎ続けましたが、先日の放送を最後に、声優の小林清志さんが、遂に次元を引退することになりました。


202110月から放送されている、ルパン三世 PART6EPISODE 0 時代、のテレビ放送が小林さんの演じるラストの次元大介になります。


ルパン三世 最後の次元大介 声優は小林清志さん

https://youtu.be/xL_VZJ2u-E8


次元大介は、小林さんの熟練している渋い声があるから、硝煙の匂いと哀愁が漂う男のビジュアルになったんだと僕は思っています。


長い間、次元大介という幼い頃からの憧れキャラクターの生き様を、見せて頂き有難うございました。


「奴はとんでもないモノを盗んでいきました。それはあなたの心です。」


その言葉は、僕や沢山の人達の心に刻み込まれた言葉でしょう。




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夏は地獄の空冷ポルシェ 保坂兄弟のポルシェ911


こんにちは

株式会社PLUSの保坂学です。




またもや夏がやってきて、弟の耕司と暑過ぎてポルシェ乗れないねと話になりました。


エアコンのトラブルは空冷ポルシェ乗りの一番の悩みですが、その中でもポルシェ930のクーラーは効かなくて有名です。





現代の新型ポルシェにはない問題なんですが、新車当時1千万以上する車なのに、昔の空冷ポルシェって、エアコンが効かないんです。


毎年エアコンガスを継ぎ足しても、全く意味なしで、夏は暑過ぎて昼間に乗れないです。


現状だとエアコンと言うより、扇風機より弱い送風機が付いている感覚です。


そもそも、930の初期型のポルシェは設計した時にエアコンは、後付けオプションだったんです。


そのため、後方のリアエンジンから長いホースを引っ張り、前方まで持ってきて、無理やり付けている感じです。


僕の個人的な感想では、昔の後付クーラーとまったく同じ仕組みですから、電装いじれる空調屋さんなら簡単に直せて、ちゃんと整備したクーラーは絶対に使えるはずですが、空調屋さんもポルシェと聞いただけで、対応してくれないところが多くて、まだ直せていません。



ポルシェ930のエアコンの問題点はこれらだと思います。


・時折冷気が出なくなり、送風や温風になり不安定


これはエアコンコントロールユニットの問題か、冷風温風の切り替えユニットの故障。


・エアコンガスチャージができない。


これは、配管のつまりやコンプレッサー、クラッチプーリー故障です。


配管つまりの場合は、エキスパンションバルブやリキッドタンクの交換、コンプレッサーの場合はオーバーホールか交換、マグネットクラッチは交換が必要です。


・エアコンガスを入れてもすぐに効かなくなる。


これは、ガス漏れが原因の場合が多く、その個所を捜して修理していくしかありません。


まずは目視にて点検できる個所をすべて点検し、問題がなければ、エバポレーターの交換です。


・ガスが入っているのに冷えが悪い。


コンデンサーブロアの不動によりガス圧が上がりすぎたり、温度センサーの不良によってエバポレーターが凍結したり、配管やエキスパンションバルブ、リキッドタンクが詰まっているのだと思います。



僕のトラブルは、どこから直そうと色々考えていた時に、ブロアファンやモーターから、白い煙が室内のファンから吹き出していたので、新しいのに交換しました。



911 1974〜1989年のクーラーの仕組みを復習しようと思います。


ポルシェのクーラーは、国産とほぼ同じ構造ですが、配管の長さとラバー素材が、ポルシェACの弱点になっていて、964までは同じような構造です。




冷媒のフロンをコンプレッサーが圧縮します。

圧縮されて高温になった冷媒を、コンデンサーが冷やすことで、冷媒が液体になります。


液体になった冷媒は、レシーバー・ドライヤーで水分や不純物が取り除かれます。


エキスパンション・バルブから、液体の冷媒をエバポレーターに噴射し、冷媒が気化されて、エバポレーターが冷たくなります。


そこへ室内の空気をファンでおくって、空気を冷やし、室内に送風して温度が下がります。


気化した冷媒は、再びコンプレッサーで圧縮して、以下の繰り返しで、温度が冷えてきます。



930はこれらの部品の間の配管は、すべてホースです。


964以降ですと、基本的に金属配管なんですが、930は昔の後付クーラーと同じ仕組みで、ホースがゴム製品ですので、金属のカシメの部分から漏れることもあるようです。


もれたら金属の部分だけ残して、新品のゴムホースでホースを作り直してくれる業者があるそうなので調べてみる価値あります。




930エバポレーターは、銅配管にアルミのフィンという贅沢な作りみたいです。


最近の車はコストダウンだとおもいますが、アルミ配管で、アルミだと結露でだんだん腐食して穴が開くことがありますが、銅配管は心配いりません。


これは超高級で機能性も問題ないので、使えるならそのままが良いと思います。




コンプレッサーは30年前のままなら、オーバーホール、もしくはサンデン製に交換するといいみたいです。


オーバーホールの際には、ついでにレシーバー ドライヤーも交換した方がよいです。


詰まっていたり、中の除湿剤が古くなっている可能性が高いので、安いから交換しましょう。




930クーラーの最大の弱点はコンデンサーなんです。




フロントに電動の小さなコンデンサーがついていて、リアにも小さなコンデンサーがついていますが、国産車のようにファンがついていません。


これは、エンジンを冷やすファンの吸気で、ついでに冷やす仕組みなので、気温が高すぎると、あまり冷媒が冷えません。


冷媒が冷えないので、冷媒が液体にならないため、エキスパンションバルブが液体のフロンを噴出できないので、効かなくなるのです。



リアフェンダーに電動ファン付コンデンサーを、移設して、冷媒を冷やす仕組みで、かなり効くようなるそうで、そのキットが海外で売っています。




SingerRUFに使用されている電動コンプレッサーのクーラーシステム


https://youtu.be/ADuk4yl-X30


Classic Retrofit

https://www.classicretrofit.com


電動なので、エンジンに負荷をかけないから、かなり欲しいけど、高価なので悩みます。



まあ、真夏は空冷エンジンにとって、厳しい環境ですので、運転を我慢するのがいちばん良いですよね。




ポルシェのハンドルをチェンジ MOMO Gilles Villeneuve Steering Wheel Limited Edition 12/80 保坂兄弟(保坂学と保坂耕司)のポルシェ911



こんにちは

保坂学です



前回のブログの続編になります。

お暇な時間がある方はチェックしてみてね。

https://manabuhosaka.muragon.com/entry/19.html




前回の読むのがめんどくさい方へあらすじ


先日は、ポルシェ911のレガシーや歴史についてや、なぜ911になったのか、僕の愛車の911Sが何故希少車なことなどの話でした。



今回はポルシェ911Sのハンドルをカスタムしたので、そのハンドルの由来について語ります。




MOMO70年代から80年代にかけて生産していたステアリングを装着しました。


装着は簡単で、六角レンチさえあれば、ボルトオンで自分でできますよ!





イタリアのメーカーmomoは、1964年にジャンピエロ モレッティが設立され、社名になっているモモの由来は、モレッティとモンツァから名付けられたと言われています。


当初はサーキット向けの製品でスタートして、1970年から公道車向けのステアリングホイールなどの製造を開始しました。


このMOMOステアリングは、F1ドライバーのシグネチャーシリーズで、ジル ヴィルヌーヴが、最後にデザインしたハンドルです。


伝説のF1ドライバーである彼のレースを最後に、日本におけるF1開催は10年間にわたり中断されることになりました。


ヴィルヌーヴは世界のマスコミから激しい非難に晒されましたが、エンツォ フェラーリは、事故は今までにもたくさんあった、これがF1レースの世界だ!と擁護していました。


彼の走行スタイルは、常人では考えられないような三輪走行などを遂行したり、カウンターステアなどが動くならば、決してレースを諦めない走りを見せながら、人々の心を捉え、F1の歴史に残る名バトルの数々を繰り広げて、32歳で事故死しました。


ジルヴィルヌーヴの三輪走行

https://youtu.be/MfTB33sfBsE



ジルヴィルヌーヴの事故映像

https://youtu.be/QPw5kKqM-ns



この一部始終は映像として残っていて、自動車レースにおける最も悲惨で衝撃的な事故映像として、1983年「ウィニング ラン」、1987年「グッバイ ヒーロー」などの映画になっている。


ヴィルヌーヴが付けたカーナンバー27は、名門フェラーリが27番を付けるのは、不振の象徴とされていて誰もが付けることを拒んだ。


しかし、時代の流れで、ヴィルヌーヴの獅子奮迅の活躍と悲劇の死により、27番は偉大な番号として愛され、その後は誰もが望む、フェラーリのエースドライバーを象徴するものとなりました。


その番号を背負ったのは、パトリック タンベイ、ミケーレ アルボレート、ナイジェル マンセル、アイルトン セナ、アラン プロスト、ジャン アレジらが27番を受け継いで戦った。


セナ、アレジは、ヴィルヌーヴを、一番尊敬していたといわれていて、アレジが幼少の頃は、自分の部屋にヴィルヌーヴの等身大ポスターが貼ってあったと言います。


僕がこのハンドルを付けた理由は、レースと言う死と隣り合わせの競技であるのにも関わらず、理不尽なメディアの避難中傷に遭いながら、戦った男達の姿があるからです。


誰もが好きな事を、ネットにぶち撒ける世の中で、様々な人が傷付き戦っています。


今、人を貶める様な、誹謗中傷をしていたり、自分が人に真っ直ぐに話せないことをしているなら、手負の虎のチカラを舐めていると、自分が後で喰われてしまうことがある世の中だと肝に銘じて下さいね。


僕は自分の道徳があり、人を誹謗中傷したり、今後の人生における生き方に、恥じる事は無い様にしています。




I changed my porsche steering signature series designed by F1 driver Gilles Villeneuve. It's his last design. This is the Steering was selling MOMO from the 70's and 80's.  Due to accident racing legends of F1 drivers, F1 race in Japan over 10 years were suspended.  Villeneuve was exposed to fierce criticism from media outlets around the world, but Enzo Ferrari defend him, he say there were lot to accident. This is the world of formula 1 racing.  He did the unthinkable in normal goal. He was from an accident driving on three wheels. His car runs out, never give up racing. Captures the hearts of people around the world fight for him, fought with the name battle in F1 history. He was killed in an accident at the age of 32.  This story remains as a video. Most distressing and shocking accident footage in F1, in 1983 winning run, 1987 goodbye Heroes have been featured film in.  Prestigious Ferrari is hated as a symbol of Villeneuve's car No.27.  No.27 was loved as a great number of Villeneuve and tragic death. And became to symbolize the Ferrari ACE driver.  Inherited the No. 27 by Patrick tambay, Michele alboreto, Nigel Mansell, Ayrton Senna, Alain Prost, Jean Alesi, who fought.  Senna, Alesi respected Villeneuve. Said Alesi was put childhood Villeneuve poster in his room.


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